織物を一本の糸へとほどいていく。その静かで緻密な行為を通して、手塚愛子は、私たちが「完成したもの」として見ている世界の内側に潜む構造と、そこに刻まれた時間を可視化してきました。絵画を出発点に、織物や刺繍を解体・再構築する手塚の作品は、過去へと時間を巻き戻しながら、現在とは異なる「選ばれなかった可能性」までを想像させます。
一見すると繊細で美しい作品の奥には、歴史や社会、そして私たち自身の固定観念への問いが潜んでいます。染織を「手仕事」や「素材性」だけに閉じ込めず、その構造そのものから新たな表現の可能性を探る手塚愛子に、制作への思考と、今回Tokyo Gendaiで発表する新作について伺いました。
解かれた織物(ジャカード織、組成:正絹、ポリエステル)、作家によるデザイン、木製パネル
H.141.5 x W.466.7 x D.5 cm (パネル二枚組、パネルサイズ:各141 x 141 cm)
織物製作:加地織物(京都西陣織)、撮影:守屋友樹 京都国立近代美術館蔵
解かれた織物(ジャカード織、組成:正絹、ポリエステル)、
作家によるデザイン、木製パネル
H.141.5 x W.466.7 x D.5 cm (パネル二枚組、パネルサイズ:各141 x 141 cm)
織物製作:加地織物(京都西陣織)、撮影:守屋友樹 京都国立近代美術館蔵
あなたの制作活動を、まだ作品を見たことがない人に向けて教えてください。
織られたものを解きほぐし、仮説的に時間を巻き戻したり、現在に至るまでに「選ばなかった選択肢」を想起させたりする作品を制作しています。おもに織物、編み物、刺繍などの染織の構造体が、元の素材へと戻っていく、そのあいだに存在するやわらかな時間軸を見つめています。
子どもたちが一瞬で心を奪われるような作品を目指していますが、その先に、大人も含めて「なぜ」「どうして」という疑問が生まれたときには、作品を理解するための「次のドア」が開かれていることを、私の作品制作のルールとしています。例えば、自ら織物の図案をデザインした作品では、そのモチーフについての詳しい解説書も並行して作成します。ただし、それを読むか読まないかは観者に委ねています。解説を読まなくても、「良いものを見たね」と帰り道で話題になるような作品。さらに知りたい人には、次のドアが用意されている作品。そうした在り方を理想としています。
解かれた織物、木製パネル、H.46.5 x W.44.2 cm、個人蔵
既製の織物を丁寧に解体し、本来隠されている内部の糸を視覚化するプロセスは、非常に緻密で静謐なものだと感じます。一本の糸を抽出していく過程で、その素材が持つ歴史や、あなた自身の思考とどのように向き合っていますか?
私が関心を持っているのは、テキスタイルの「素材そのもの」よりも、織物や刺繍を成立させている「構造」です。普段は完成形の内部に隠れ、目には見えないその構造に、再び形を与えることに興味があります。
制作では、染織固有の構造と、歴史のなかで生み出された造形物や図像を重ね合わせます。一本の糸を抽出することは、「素材に触れるため」というよりも、完成した形の内部に潜んでいる別の時間や、そこにあり得た別の選択肢を引き出すための行為です。
今回の展示では、2027年の展覧会に先駆けた新作が公開されます。手仕事の極致ともいえるこれらの作品において、鑑賞者が「手触り」を想像し、視覚を超えた体験をすることにどのような期待を寄せていますか?
観者が作品から「手触り」を想像することは自由です。ただ、私自身が関心を持っているのは「素材性そのもの」ではなく、染織を成立させている「構造」です。「手触り」や「手仕事」といった言葉は、染織を語る際にしばしば用いられますが、そうした見方だけにとどまることで、その本来的な可能性が狭められてしまうことに、私は強い懐疑心を抱いています。
染織の構造は、ほかの技法にはないラディカルな表現を可能にします。織る、編む、縫うといった「システム」によって組み上げられた構造体は、完成した現在の姿から時間を巻き戻すように、再び元の素材へと戻ることができます。つまり、完成形の内部に隠されていた構造を露出させ、可視化することができるのです。このような仕組みを内包する造形物は、決して多くありません。
「手触り」「手仕事」「素材性」、あるいは「素材が持つ歴史」。染織に対して当然のように向けられてきたこうした言葉が、時にその可能性を限定する枠組みになってはいないか。私は常に、そのことに意識的・懐疑的でありたいと考えています。フェミニズム研究においても、染織は造形表現の歴史をめぐる議論のなかで、たびたび引き合いに出されます。それは重要な視点である一方、その枠組みだけが前景化されることで、染織に対する解釈の可能性が狭められてしまうこともあると感じています。
H.330 x W.387 cm (2点組)、各パネルサイズ 330 x 190 cm
織物制作:川島織物セルコン
撮影: Lepkowski Studios, Berlin, Ute Klein, Kai Magnusson
国立国際美術館蔵
H.330 x W.387 cm (2点組)、各パネルサイズ 330 x 190 cm
織物制作:川島織物セルコン
撮影: Lepkowski Studios, Berlin, Ute Klein, Kai Magnusson
国立国際美術館蔵
制作において最もインスピレーションを受けるのはどんな瞬間ですか?
・電気も水道もなかった時代に作られたものの、完成度の高さに驚く時
・その時代の支配者と非支配者の関係を想像する時
・宗教や貿易、経済といった大義名分の背後で、歴史には記録されないまま、実際には人間を動かしてきたものについて考える時。それが良い方向にも悪い方向にも働いてきたことを含めて。
・自分のなかにある「偏見」が揺るがされた時
・子どもや動物の行動を観察する時
古地図がプリントされた布に刺繍、木製パネル
81.3 x 70.3 x 3 cm
撮影:ToLoLo Studio
岡崎市美術博物館蔵
日本のアートシーンや、Tokyo Gendaiを訪れる観客に対して、いまどのような思いや期待を持っていますか?
観者に対して、あらかじめ具体的な期待を持っているわけではありません。私が最も強い興味と情熱を注いでいるのは、作品を制作し、それをどのように設置するかということです。その後で作品がどうなっていくのか、売れるか売れないか、誰がどのように受け取るのか、あるいは受け取らないのかについては、あまり考えません。なぜなら、一つの作品が終わる頃には、次の作品のことを考えているからです。
ただ、作品は作家ががんばって作るものです。ですから観者には、「見る」だけでなく、作品を「読む」努力もしてほしい。そして買う側にも、がんばって買ってほしいと思います。
ありがとうございました。9月のTokyo Gendaiでの展示を楽しみにしています。
ほどかれた糸の先に、何が見えるのか。手塚愛子の作品を、ぜひ会場で。
会期:
2026年9月11日 (金)〜13日 (日) *ヴェルニサージュは9月10日 (木)
会場:
パシフィコ横浜
ブース:
Kamakura Gallery
チケット購入先:
川瀬一絵
手塚愛子
1976年東京生まれ。現在はベルリンと東京の二拠点で作品制作を行う。
2001年武蔵野美術大学大学院油画コース修了(戸谷成雄氏に師事)。2005年京都市立芸術大学大学院油画領域博士(後期)課程修了(宇佐美圭司氏に師事)。2010年五島記念文化賞美術新人賞により渡英。その後文化庁新進芸術家海外研修制度により渡独。
織られたものを解きほぐす作品を1997年より開始し、歴史上の造形物を引用、編集しながら新たな構造体を作り出す、独自の手法により制作を続ける。
近年の主な展覧会に、京都国立近代美術館、横浜美術館、国立国際美術館、熊本市現代美術館、岡崎市美術博物館、東京都現代美術館、福岡市美術館、豊田市美術館、国立新美術館、兵庫県立美術館(以上、日本)、ルーマニア国立美術館(ルーマニア)、プラナカン博物館(シンガポール)、キール市ギャラリー(ドイツ)、ベルリンアジア美術館(ドイツ)、浙江美術館(中国)、アムステルダム国立美術館(オランダ)、マンハイム美術館(ドイツ)、テキスタイル博物館(オランダ)、ハンブルク美術工芸博物館(ドイツ)、ヨハン・ヤコブ美術館(スイス)、韓国国立現代美術館(韓国)、ターナー・コンテンポラリー現代美術館(イギリス)、アヤラ美術館(フィリピン)など多数。





