Tokyo Gendaiのフェアディレクター高根枝里が、国内外で活躍するアーティストやキーパーソンに話を聞くインタビュー企画、「Eri Asks」。
今回登場するのは、ベルギーを代表する現代アーティストの一人、Wim Delvoyeです。タイヤや建築、機械といった身近なモチーフを、卓越した職人技によって彫刻へと昇華させる一方、《Cloaca》をはじめとする革新的な作品で、「人間とは何か」という根源的な問いを投げかけ続けてきました。
Tokyo Gendaiで発表される新作とあわせて、Wim Delvoyeが見つめる「これからのアート」の姿に、ぜひ触れてみてください。
アジアでの制作経験と、クラフトへのこだわり
Eri Takane(Eri):Tokyo Gendaiにまた戻ってきていただけてとても嬉しいです。Wimさんはこれまで中国や韓国など、アジア各国で制作されてきましたが、そうした文化の違いは作品づくりに影響していますか?
Wim Delvoye(Wim):もちろんです。私はかなり早い時期からアジアで活動してきました。90年代初頭にはインドネシアへ行きました。当時、木彫の職人たちと出会い、その後1997年にインドネシアで大きな政治的転換が起きたとき、「その歴史の一部になりたい」と思って再び現地へ戻りました。そして91年、92年に一緒に仕事をしていた同じ彫刻家たちと、実物大の大きなトラックを制作したんです。
中国も同じです。2003年頃から通い始め、2004年には制作を始め、2005年には工房も持ちました。オリンピックの頃には少し離れましたが、また戻っています。私はずっと、アジアとの関わりを持ち続けています。
Eri:日本ではTokyo Gendaiで今回初めて作品をご覧になる方も多いと思います。改めて、ご自身の制作について教えてください。
Wim:今回展示している彫刻は、とてもクラフト的な作品です。今、美術館やアートフェアで見る多くの作品と比べると、私の作品は「非常によく作られている」と思います。私はアジアの精神の中にある、「よい仕事」や「美しい手仕事」を評価する文化が好きなんです。それは特別な芸術だけでなく、日用品や生活の中にもありますよね。私自身も、とても執着心の強い作家です。細部まで徹底的にこだわります。
Eri:作品には伝統的な技法と現代文化が共存しています。旅の経験も大きいと思いますが、制作の核になっているものは何でしょうか。
Wim:私はヨーロッパという、ある意味では衰退しつつある古い大陸に住んでいます。私たちに残されている一番大きな財産は、伝統や文化です。一方で、私は新しいテクノロジーにも強く惹かれています。だからこそ思うのです。現代美術を製作することが、過去より質の低いものをつくる言い訳にはならない。20世紀の芸術を見ると、「途中で諦めてしまった」ように感じることがあります。15世紀の人々は、フランスやベルギーで壮大な大聖堂を築きました。あの時代には写真もなく、インターネットもありません。それでも驚くほど高い完成度を実現していました。
今の私たちには、コンピューターも写真も航空写真もあります。それなのに、なぜ平均的なものしか作らないのでしょう。私は、ありふれた日常のモチーフに「もう一歩先(extra mile)」を加えたいんです。タイヤを彫刻することもそうです。ただの日用品を、極限まで作り込むことで、新しい見え方が生まれると思っています。
「現代アートだからといって手を抜いていい理由にはならない」——人間、機械、そして職人技術について
Eri:あなたの作品にはタイヤや建築、機械など現代的なモチーフが多く登場します。その背景にはどんな考えがありますか。
Wim:私は昔から、人間とは何かという問いに興味があります。たとえばクローン羊「ドリー」の誕生は、私にとってとても大きな出来事でした。その影響でX線作品や《Cloaca(消化マシン)》、タトゥーを施した豚など、さまざまな作品を制作してきました。90年代は、人種や民族、ライフスタイルなど「私たちは違う」という議論が中心でした。
でも私は、それよりも「人間全体」に向けたメッセージを持ちたいと思ったんです。
《Cloaca》は、まさにこの考えを表した作品です。誰かを傷つけたり、不快にさせたりすることを意図したものではありません。また、フェミニストであろうと、宗教を信仰する人であろうと、あるいはその他の人であろうと、誰をも排除するものではありません。むしろ、人間そのものについて考えさせる作品なんです。
Eri:機械も、人間を考えるための存在なんですね。
Wim:そうです。ルネサンスでは、ミケランジェロの《ダヴィデ像》が「人間」の象徴でした。でも彼は白人男性ですよね。アジア人でもアフリカ人でもありません。今の時代、人間を表すイメージはもっと違うはずです。私たちはすでにポスト・ヒューマンの社会に生きています。遺伝子を操作し、AIと共存し、機械は身体の延長になっています。だから私は、人間と機械を切り離して考えていません。機械もまた、人間の一部なんです。
Eri:クラフトへのこだわりも、その考えにつながっていますか。
Wim:もちろんです。私はクラフトが大好きです。現代アートを嫌う人の多くは、「手仕事がない」と感じているのではないでしょうか。だから私は、クラフトを作品の中心に置きたい。
タイヤは、そのための完璧なモチーフです。ほとんどの人が見たことがあり、触れたことがあり、車やトラックは私たちの時代を象徴しています。誰にとっても身近で、とても民主的な存在です。だから私はタイヤが好きなんです。車もトラックも好きです。現代のテクノロジーも好きです。そして、そのテクノロジーを最高のクラフトで表現したいと思っています。
Eri:日本でも職人文化は高く評価されていますが、高齢化によって技術継承が難しくなっています。
Wim:それは世界中で起きています。でも、「技術を知っている」のなら、それを次の世代へ伝える責任があります。現代に生きているからといって、不可能だと決めつけてはいけない。私はいつもそう信じています。
失われゆく職人技と、AI時代にアーティストができること
Eri:既製品のスーツケースや車などを素材として使い、その表面に彫刻を施す作品もあります。素材はどのように選び、職人たちとはどのように制作を進めているのでしょうか。
Wim:旅をする中で、中東の工房をよく訪ねていました。真鍮や銀を叩いて成形する、昔ながらの職人たちです。私はこれまで木彫や溶接、鋳造などさまざまな技法を使ってきましたが、彼らの仕事を見て、「この技術を現代に生かせないか」と考え始めました。工房には、その技術を継ぐ最後の職人たちがいました。子どもたちは都市へ出て、ウェブデザインなど別の仕事をしています。創造性は親から受け継いでいても、もう工房には戻らない。だから私は、彼らをまるで”最後の宝石”のように大切にしてきました。もし彼らが仕事をやめてしまえば、その技術は失われてしまうからです。
Eri:そうした職人を世界中で探しているのですね。
Wim:そうです。世界中を探しても、本当に高いレベルの仕事ができる工房は10か所もないと思います。だから私は、その人たちに十分な対価を払い、「今までで最高の仕事をしてほしい」とお願いしています。スポーツの世界は、常に記録更新を目指しますよね。だったら、アーティストも同じでいいはずです。飛行機もインターネットもある時代です。世界中の最高の職人と仕事ができる。メッセージを届けたいなら、最高の技術を使うべきだと思っています。
Eri:アルミニウムの車を作品に使う理由も、そこにつながるのでしょうか。
Wim:ええ。職人たちは真鍮や銀のような柔らかい金属は扱っていました。でも私は考えました。「もっと現代的な金属はないだろうか」と。そこで選んだのがアルミニウムです。アルミの車体を持つ1958年のフェラーリ・テスタロッサや1961年のマセラティなど、限られた時代の車を作品に使っています。ひとつの作品に3年、5年とかかることもあります。でも、その遅さも好きなんです。時間をかけて境界を押し広げること。それも作品の一部だと思っています。
Eri:AIの発展によって、アートも大きく変わっています。
Wim:そうですね。AIは、もう写真の世界では人間を追い越しています。ChatGPTのような存在も、驚くほど早く進化しています。でも私は、まだ三次元の世界には可能性が残っていると思っています。手で触れられるもの、素材を扱うもの、空間をつくるもの。そこでは、まだ人間が違いを生み出せる。だから私は、今この数年間をとても大切にしています。これから先、どう変わっていくのかは分かりません。でも、だからこそ今できることを、できる限り高いレベルでやりたいと思っています。
「アートは、もっと未来へ向かっていい」──Tokyo Gendaiで示す新作と、日本への期待
Eri:今回の東京での展示やTokyo Gendaiでは、新作も発表されるそうですね。どのような作品をご覧いただけるのでしょうか。
Wim:今回展示する作品のひとつは、私自身とても気に入っているシリーズです。
ゲームの世界を題材にしています。多くの人は私を《Cloaca》やタイヤの作品で知っていますが、このシリーズも私にとってはとても重要です。面白いのは、人の手が一切介在していないことです。マウスで形をつくり、コンピューターゲームの3Dデータをそのまま彫刻へと変換しています。機械が削り出した跡も、そのまま残しています。磨いて消したり、加工の痕跡を隠したりはしません。未来になれば、この技術はもっと精密になるでしょう。でも、だからこそ今の時代の”技術の痕跡”を残しておきたいんです。昔の映画を観ると、フィルム特有の粒子やノイズがありますよね。あれが、その時代を物語っています。この作品も同じです。
Eri:ゲームそのものをアートとして捉えているのでしょうか。
Wim:そう思っています。以前は、アートとそうでないものの境界はもっと明確でした。でも今は違います。ゲーム自体が、すでに芸術になっています。昔は「これはアートです」とアーティストが宣言していました。でも今では、ゲームやテクノロジーの側が先に新しい表現を生み出している。アートは、それを追いかけているようにも見えます。AIやテクノロジー企業も同じです。彼らは膨大な資源を持ち、これまでアーティストが担ってきた役割にも入り始めています。だからこそ、今はとても面白い時代だと思っています。
Eri:最後に、日本や東京の観客へ期待していることを教えてください。
Wim:2000年に《Cloaca》を完成させた頃、私は初めて東京へ来ました。ソニーが主催する招待制のイベントで、日本企業が新しい技術を次々と発表していたんです。そのスピードに、本当に驚きました。企画を決めたら、わずか8週間で新製品が完成する。未来がすぐ目の前にあるような感覚でした。私は昔から、そういう未来に立ち会いたかったんです。
今では、中国をはじめアジアの国々もテクノロジーの中心になっています。北京でも、美術館のショップでとても印象的な光景を見ました。ジョルジョ・モランディの作品が、ぬいぐるみやバッグチャームになって並んでいたんです。男性でも普通に身につけている。クラシックな美術が、新しいカルチャーとして生まれ変わっている。
私はそういう現象が大好きです。文化は固定されたものではなく、時代によって姿を変えていくものですから。
Eri:東京にも、きっとそうした新しいカルチャーとの出会いがあると思います。
Wim:ええ、とても楽しみにしています。東京にはいつも、予想を超えるものがありますから。
Eri:今日はありがとうございました。
Wim:ありがとう。
ありがとうございました。9月のTokyo Gendaiでの展示を楽しみにしています。
伝統とテクノロジーが交差するとき、アートはどこまで進化できるのか。その答えを、Wim Delvoyeの新作とともにTokyo Gendaiで。
会期:
2026年9月11日 (金)〜13日 (日) *ヴェルニサージュは9月10日 (木)
会場:
パシフィコ横浜
チケット購入先:
WIM DELVOYE(ウィム・デルヴォワ)
1965年、ベルギー・ウェルヴィク生まれ。ベルギーおよびイギリスを拠点に活動。
ネオ・コンセプチュアル・アーティストであるウィム・デルヴォワは、美術史における様式やモチーフを取り入れ、それらを日常的でありながら型破りな対象へと昇華させる。哲学的な思想、素材そのものの特性、現代的な技法、そして職人的な技術への愛情を巧みに融合させた作品を制作している。
1980年代以降、彼の作品は、日用品を紋章的なパターンで装飾することから、入れ墨を施した生きた豚や《Cloaca》といった作品を通して、芸術が持つ批評的機能を大胆に問い直す方向へと発展してきた。複雑な機構を持つ《Cloaca》は、人間の営みの不毛さを浮き彫りにすると同時に、芸術と商業の間に存在する両義的な関係を探求している。
歴史と未来、伝統と革新といった対立する領域を自在に交差させながら、彼のバロック的な身振りは、独特のユーモアと不遜な眼差しによって、現代建築や社会にまつわる神話を絶えず揺さぶり続けている。





